神奈川県横須賀市の西逸見町から長浦町、大矢部にかけて広がる標高約133メートルの高台に、豊かな自然と深い歴史を湛えた市立公園「塚山公園(つかやまこうえん)」があります。ここは春には約1,000本の桜が咲き誇る三浦半島屈指の名所であり、「かながわの景勝50選」にも選ばれている展望スポットです。
そしてこの公園の山頂には、日本の激動の時代を駆け抜け、徳川家康の外交顧問として活躍したイギリス人航海士、ウィリアム・アダムスこと「三浦按針(みうらあんじん)」とその日本人の妻の供養塔である、国指定史跡「三浦按針墓(安針塚)」が静かに佇んでいます。

本記事では、三浦按針という人物が横須賀・逸見の地と結んだ深い歴史的絆から、塚山公園の見どころ、周辺の関連史跡、さらには現地を訪れる際の具体的なアクセスや注意点まで、事実に基づいた詳細な情報を網羅して解説します。
1. 三浦按針(ウィリアム・アダムス)の生涯と横須賀・逸見との絆
三浦按針の足跡を辿るためには、まず彼がどのような経緯で日本に渡り、なぜ横須賀の地に領地を持つに至ったのかという歴史的事実を知る必要があります。
リーフデ号の漂着から徳川家康との出会い
ウィリアム・アダムスは1564年、イギリス(イングランド)のケント州ジリンガムに生まれました。若くして造船所での見習いや航海術の修得に励み、イギリス海軍の運送船の船長などを務めた後、1598年にオランダの航海会社が組織した東洋遠征船団にチーフマテ(航海士)として参加します。アダムスが乗船したのが、のちに日本の歴史に大きな影響を与えることになる「リーフデ号(当時の正式名はエラスムス号)」でした。
ロッテルダムを出港した5隻の船団は、マゼラン海峡を通過して太平洋を渡る過酷な航海の途中で、嵐や疫病により次々と脱落していきました。唯一生き残ったリーフデ号も、航海中に多くの乗組員が命を落とすことになります。
1600年4月19日(慶長5年3月16日)、満身創痍のリーフデ号は、豊後国(現在の大分県臼杵市)の黒島沿岸に漂着しました。出港時に110人いた乗組員のうち、生きて日本の土を踏むことができたのは、ウィリアム・アダムスやオランダ人のヤン・ヨーステン(のちの八重洲の地名の由来となる人物)ら、わずか24人でした。そのうち自力で立つことができる者は数名にすぎないという凄惨な状況でした。
当時、五大老の筆頭として実権を握りつつあった徳川家康は、漂着の知らせを受けるとアダムスらを大坂城へと護送させ、自ら執拗な尋問(面談)を行いました。家康は、当時日本に浸透していたポルトガルやスペインのカトリック勢力とは異なる、プロテスタントのイギリスやオランダの情勢、さらにはアダムスが持つ天文学、数学、航海術、大砲の鋳造技術などの最先端科学知識に強い関心を示しました。家康はアダムスの誠実な人柄と卓越した知識を高く評価し、彼を処刑せず、江戸へと招いて幕府の外交顧問および通訳として重用することを決意します。
「三浦按針」の誕生と逸見村への入封
江戸に居を移したアダムスは、家康の命により伊豆国伊東(現在の静岡県伊東市)の松川河口で、日本初となる洋式帆船(80トンおよび120トン)の建造に成功します。この功績などにより、家康はアダムスを単なる外国人顧問としてではなく、日本の「旗本」として処遇することを決定しました。
家康からアダムスに与えられたのが、相模国三浦郡逸見村(現在の神奈川県横須賀市西逸見町・東逸見町周辺)の250石の領地でした。これに伴い、アダムスは江戸の日本橋に屋敷を持つとともに、帯刀を許された武士となり、「三浦按針」という日本名を与えられます。
- 「三浦」の由来: 領地として与えられた「三浦郡」という地名から取られました。
- 「按針」の由来: 羅針盤を見て船の針路を決める「航海士(水先案内人)」を意味する職名に由来しています。
青い目をしたサムライとなった三浦按針は、江戸の商人である馬込勘解由の娘(日本人の妻)と結婚し、一男一女(ジョセフとスザンナ)をもうけました。按針はその後もイギリス・オランダ商館の設立(長崎県平戸)に尽力し、朱印船貿易の発展に貢献しましたが、徳川家康の死後は幕府の外交方針の変更(鎖国への傾斜)もあり、次第に政治の表舞台から遠ざかることになります。そして1620年5月16日(元和6年4月24日)、長崎の平戸にて56歳でその生涯を閉じました。
2. 国指定史跡「三浦按針墓(安針塚)」と塚山公園の興り

三浦按針が没した後、その領地であった横須賀の逸見を見下ろす山の頂には、彼の功績を称え、その霊を慰めるための供養塔が建てられました。これが現在の塚山公園の中心施設である「安針塚(あんじんづか)」です。
史跡「三浦按針墓」の構造と歴史
塚山公園の山頂エリアに位置する「三浦按針墓」は、1923年(大正12年)3月7日に国の史跡に指定されました。文化財としての指定名称は「墓」となっていますが、実際の埋葬地は長崎県平戸市(平戸の崎方公園など)にあるとされており、横須賀のものは按針と日本人の妻の魂を祀った「供養塔」というのが歴史的事実です。

史跡内には、2基の美しい「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が並んで建てられています。
- 南側(右側)の塔: 三浦按針(ウィリアム・アダムス)の供養塔。
- 北側(左側)の塔: 按針の日本人の妻の供養塔。
これらの塔は、伊豆半島から運ばれたとされる凝灰岩(伊豆石)で作られており、江戸時代中期の高名な儒学者・戸田茂睡の文集や、江戸幕府が編纂した地誌『新編相模国風土記稿』にも「按針塚」としてその存在と由来が詳しく記録されています。江戸時代から、この地が按針の遺徳を偲ぶ神聖な場所として地域住民に認識されていたことが証明されています。
遺蹟保存会の設立と公園の整備

明治時代に入ると、この由緒ある按針塚の周辺を整備し、後世に伝えるための動きが本格化します。1902年(明治35年)、当時の神奈川県知事であった周布公平や、駐日英国公使であったクロード・マクドナルド、さらには日本の政財界の要人たちが発起人となり「三浦按針遺蹟保存会」が設立されました。
この保存会によって按針塚の修復や記念碑の建立が行われ、周辺の植栽整備が進められたことが、現在の「塚山公園」の礎となりました。その後、1951年(昭和26年)3月27日に市立公園として正式に開園し、面積約11.6ヘクタールに及ぶ現在の規模へと発展していきました。
3. 四季の自然と絶景が広がる「塚山公園」の広域見どころ
塚山公園は、歴史的な価値だけでなく、三浦半島の豊かな地形と自然を体感できる優れた景勝地としての側面を併せ持っています。

① 「かながわの景勝50選」に輝く「港の見える丘」からの眺望
公園の北側に位置する「港の見える丘」展望デッキは、1953年(昭和28年)に「かながわの景勝50選」に選定された、市内屈指の絶景スポットです。標高約133メートルの高さからは、眼下に広がる横須賀特有の複雑な海岸線を一望することができます。
- 横須賀本港と長浦港: 海上自衛隊の護衛艦や潜水艦、米海軍の艦船が停泊する港湾エリアを俯瞰(ふかん)できます。
- 東京湾のパノラマ: 浦賀水道を行き交う世界各国の大型貨物船やコンテナ船の姿をリアルタイムに観察できます。
- 遠景のランドマーク: 天候が良く空気が澄んだ日には、対岸の千葉県(房総半島)の山並みをはじめ、横浜ランドマークタワー、東京スカイツリーまで視界に収めることが可能です。また、西側の展望エリアからは富士山や丹沢山塊の稜線も美しく見ることができます。
② 三浦半島屈指の規模を誇る「1,000本の桜」

塚山公園を語る上で欠かせないのが、春の桜の美しさです。園内にはソメイヨシノを中心に、ヤマザクラ、オオシマザクラなど約1,000本の桜の木が植えられており、毎年3月下旬から4月上旬にかけて、山全体が薄桃色に染め上がります。
山頂へと続く遊歩道は「桜のトンネル」のようになり、多くの花見客やハイカーで賑わいます。また、桜のシーズンが終わった後の5月には鮮やかなツツジが園内を彩り、初夏にはアジサイ、秋にはクヌギやコナラ、モミジによる紅葉など、年間を通じて四季折々の植物を観察することができます。
③ 整備された遊歩道と散策コース
園内には、自然の地形をそのまま活かした「うぐいすの小径」や「按針の小径」といった散策路(遊歩道)が網羅されています。木々に囲まれた静かな道では、その名の通り野生のウグイスやシジュウカラなどの野鳥のさえずりを聞くことができ、適度な起伏があるため、日常のウォーキングや本格的なハイキングコースとして地元住民に広く親しまれています。
4. 現代に息づく按針の功績「按針忌」とふもとの関連史跡
三浦按針への感謝と日英・日蘭の国際親善の精神は、400年以上が経過した現在も途切れることなく受け継がれています。
明治から続く伝統行事「按針忌顕彰会」
毎年、桜が見頃を迎える4月上旬、塚山公園の山頂にある按針塚の前において「按針忌顕彰会(あんじんきけんしょうかい)」が厳かに執り行われます。この式典は明治時代に始まり、戦時中の一時的な中断を経て、現在まで100回以上にわたり開催されている伝統行事です。
式典には、横須賀市長をはじめ、駐日英国大使館の関係者、駐日オランダ王国大使館の関係者、按針の生誕地であるイギリス・メドウェイ市(旧ジリンガム)の代表団、そして地元の逸見地区の住民らが一堂に会します。按針夫妻の供養塔に献花が行われ、日・英・蘭の3カ国の国歌演奏や、地元の小学生による合唱などが披露され、国際交流と地域コミュニティが融合する重要な機会となっています。
合わせて巡りたいふもとの関連史跡
塚山公園を下りた逸見の町中にも、三浦按針にゆかりのある重要な史跡が存在します。あわせて参拝・見学することで、より立体的に歴史を理解することができます。
浄土寺(じょうどじ)
- 所在地: 横須賀市東逸見町1-50(京急線逸見駅から徒歩約3分)
- 概要: 浄土宗の寺院であり、三浦按針の日本における菩提寺です。按針が逸見村の領地に滞在していた際、この寺を深く信仰していたと伝えられています。境内には、按針が徳川家康から拝領し、航海時にも常に身につけていたと伝わる念持仏「木造阿弥陀如来立像」(開運安針阿弥陀如来)が安置されています。この仏像と、合わせて安置されている「三浦按針夫妻木像」は、横須賀市の指定重要文化財に登録されています(通常は非公開、毎年4月の按針忌前後に合わせて特別公開されることがあります)。
鹿島神社(かしまじんじゃ)
- 所在地: 横須賀市西逸見町1-14(京急線逸見駅から徒歩約5分)
- 概要: 逸見地区の鎮守であり、武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祭神とする歴史ある神社です。三浦按針の領地内に位置しており、按針がこの神社の祭礼や維持に関わっていたという伝承が地域に古くから残されています。
5. 塚山公園へのアクセス・駐車場・利用時の具体的な注意点
塚山公園は山の上に位置する自然公園であるため、一般的な平地の公園とは異なり、事前の準備やアクセスの確認が不可欠です。確実な訪問のために必要な実用情報をまとめます。

電車でのアクセス(3つのルート)
公園へ向かう公共交通機関の最寄り駅は3つあり、それぞれルートの特色が異なります。いずれのルートも後半は山登りとなるため、徒歩での所要時間が発生します。
- 京急本線「安針塚駅(あんじんづかえき)」から(徒歩約25分):
- 駅名の通り、按針塚への最もスタンダードなアクセスルートです。駅を出てから案内板に従って住宅街を進み、徐々に傾斜がきつくなる山道を登ります。後半には階段が続くエリアがあり、息が上がる本格的な登り坂となります。
- 京急本線「逸見駅(へみえき)」から(徒歩約30分):
- 駅近くの「浄土寺」を参拝してから塚山公園へ向かう歴史散策に適したルートです。鹿島神社の脇から山頂へと続く登山道へと入っていきます。安針塚駅ルートと同様に、急な傾斜と階段が続きます。
- JR横須賀線「横須賀駅」から(徒歩約40分):
- 駅から「十三峠(じゅうさんとうげ)」を経由して塚山公園の尾根づたいに入っていくハイキングルートです。距離は長くなりますが、横須賀の港湾や市街地を異なる角度から眺めながら歩くことができるため、歩き慣れたハイカーに好まれるルートです。
【重要】駐車場に関する事実
塚山公園内、および各登山口の周辺には、一般の来園者が利用できる専用の無料・有料駐車場は一切存在しません。
山頂の管理棟付近まで通じる管理用道路はありますが、一般車両の進入は全面的に禁止されています。車でのアクセスを検討する場合は、必ず京急「逸見駅」や「横須賀中央駅」、あるいはJR「横須賀駅」周辺にあるコインパーキング等の民間有料駐車場に車を停め、そこから徒歩で山を登る必要があります。周辺の住宅街は道幅が非常に狭く、駐車違反や住民の通行の妨げとなるため、公式にも公共交通機関(電車)での来園が強く推奨されています。
散策時・服装に関する注意点
- 適切な靴の着用: 公園内の主要な通路は舗装されている部分もありますが、土の道や急な階段、傾斜の強い坂道が大半を占めます。サンダル、ミュール、革靴などでの来園は滑落や怪我の危険があるため避け、必ず履き慣れたスニーカーやトレッキングシューズで訪問してください。
- 売店・飲食に関する情報: 園内にはレストランや売店などの商業施設はありません。自動販売機は管理棟付近など一部の場所に設置されていますが、特に夏の酷暑期や桜シーズンの混雑時には売り切れとなる可能性もあります。そのため、登山を開始する前に、駅周辺のコンビニエンスストアや商店で、水分補給用の飲料水や軽食をあらかじめ購入して持参することが必須です。
- トイレの設置状況: 園内には数カ所に公衆トイレが整備されていますが、登山道の途中にはありません。駅や公園入り口で事前に済ませておくと安心です。
- 夜間の利用について: 園内は自然の景観を維持するため、街灯の数が限られています。日没後は足元が完全に暗くなり非常に危険ですので、明るい時間帯に下山を完了するスケジュールを組んでください。
6. まとめ

横須賀市西逸見の山頂に広がる塚山公園は、単なる自然豊かな憩いの場ではなく、400年以上前にこの地を治め、日本の近代化の礎を築いたイギリス人航海士・三浦按針(ウィリアム・アダムス)の息吹を今に伝える貴重な歴史的遺産です。
国指定史跡である按針塚の重み、青い目のサムライがかつて眺めたであろう「港の見える丘」からの圧倒的な海のパレード、そして山全体を包み込む1,000本の桜――。ここには、横須賀という街が持つ「歴史の深さ」と「異国情緒の原点」が凝縮されています。
訪れる際は急な坂道を登るための準備を整え、この地で生涯を終え、今も街を見守り続ける按針夫妻の歴史のロマンを肌で感じてみてください。


